足立仁十郎、会津葵

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足立仁十郎を知るきっかけとなったお菓子・「かすてあん 會津葵」

会津若松市の銘菓に「かすてあん 會津葵」がある。
新選組をとおして会津藩主松平容保公に深く感銘し、会津という全てに興味を持った。
知り合った方から「会津にもカステラがありますよ」といって、贈っていただいたお菓子が
かすてあん 會津葵」
味は長崎のカステラとはずいぶん違う。あっさりとしているし、たしかに中に餡などをいれないと、長崎のカステラに慣れているものには、心細い生地だ。しかし、もともとのカステラ生地は、どちらかというとこちらに近かったのではないだろうか。 長崎のカステラはそれをまったく別のお菓子として昇華し逸品として完成品にしたものだと思えてくる。

その栞(しおり)に書かれていた文章に足立仁十郎が出てくる。
長崎市内、それも居留地あたりで生まれ育った私にもこの「足立仁十郎」と言う名前は初耳だった。

栞(しおり)に書かれていることを以下に転載する。

南蛮文化と、かすてあん會津葵

山国会津と南蛮文化。
一見奇妙な取り合わせに見えますが、鶴ヶ城に残された泰西王侯騎馬図や唐人凧、天保9年幕府巡見使供応に用いられた謎のカステラ玉子の史実、隠れキリシタン遺品など実際南蛮渡来の文物が数多く残っているのです。
往時、南蛮文化の窓口は長崎だったわけですが、何故はるか離れた会津に数多くの南蛮文化がもたらされたのでしょうか。

一つはレオという洗礼名を持つキリシタン大名蒲生氏郷、他の一つは長崎にあって会津人参の貿易を一手に引き受けていた豪商足立仁十郎であり、二年に一度会津を訪れて南蛮文化をもたらしました。
会津の不思議な異国趣味。
それを運んだ二つの潮流の接点に生まれたのが弊舗秘法の「かすてあん會津葵」です。

會津葵は藩主松平家の紋どころ、お菓子の押文様は藩公の文庫印「会津秘府」をうつしたものです。1962年餡入りカステラの創案が認められ、科学技術庁長官より創意工夫功労章を受けました。
(かすてあん会津葵のしおりから転載)

カステアン会津葵の栞(上=表、下=中面


 


 

 

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