足立仁十郎を追う

ホーム足立仁十郎を追う>長崎に残る足跡・金刀比羅神社

●足立仁十郎の名前が刻まれた神社の玉垣

長崎市民にとって、一番親しみのある山といえば、金比羅山(こんぴらさん)か稲佐山。
そのこんぴら山の山頂近くに金刀比羅神社がある。
社殿右側の石造りの玉垣に足立仁十郎の名前があった。

 

金刀比羅神社の由来(由来書き看板より)
祭神…大物主大神 祟徳天皇
相殿…菅原大神
金比羅山という名称は宝永2年(1705)吉祥院長慶が讃岐国から金比羅大権現の分霊をこの山に祀ったためである。古くは瓊杵(とき)山または崇嶽(たかだけ)と称え天孫降臨の伝説がある。
弘仁年間(820) に神宮寺がたてられ明治維新になってから金刀比羅神社に改称した。
当時は往時から長崎奉行をはじめ一般の信仰が篤く長崎在住の華僑は海上安全の守護神と仰いで、海上交通の安全と貿易の隆昌を祈ったという。上宮のある山頂には万治三年、黄檗僧木庵が眺望のすばらしさに感じてなづけた「無凡山」を刻んだ巨岩がある。

玉垣に書かれた文字

1.右門石…奉献 世話人 友永長兵衛
               菱屋喜兵衛

2.左門石…嘉永三年歳次庚戌
      正月穀旦敬立

左玉垣…對馬屋勝五郎、永見徳太郎、足立仁十郎、袋屋與八郎、河内屋作五郎、堺屋彌吉、菱屋安兵衛、中尾民■、菱屋彌兵衛、田中藤吉、溝口■、

右玉垣…冬野総■、菱屋清蔵、長岡文次郎,日野屋要助、村上藤兵衛、原賀次右衛門


 

金比羅山から見た長崎港

 


 

 

長崎微熱  http://50s.upper.jp

 

 

製作・著作:平野惠子
※このサイトの記事を引用や転載される場合は本サイト名とリンクを表記することで許可いたします。