足立仁十郎を追う

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足立仁十郎の墓(長崎)

足立仁十郎は明治14年9月に81歳で亡くなっている。
その墓は、晩年をすごした郷里の与布土にある。先日子孫の方からメールをいただき、そのメールには、お参りをしたお墓の写真が添付されていた。
仁十郎が活躍した長崎にも彼の墓がある。長崎に残った養子・程十郎(監吾)たちが、与布土で亡くなったことを知って、長崎の墓所も仁十郎の墓を立てたのではないかと思う。
驚くことに、足立家の長崎の墓所は、国宝の唐寺として有名な祟福寺にある。
このことでも、足立家は 唐通詞との関係が深かったことがわかる。
以下の図は墓所の主な墓の配置。
1.=足立正枝  大正10年4月10日卒 (仁十郎の孫すじにあたる)
2.=足立程十郎知之 年34歳  元治元年8月10日損館(この程十郎は早死した実子か?仁十郎の後をついで活躍する程十郎とは別人)
3.=足立智義 明治14年9月7日卒  81歳 (足立仁十郎の墓。仁十郎は、智義のほかにも監物、泉、などとも名乗っていた)
4.=足立監吾  明治22年5月1日 卒 享年49歳(この人が、仁十郎の後をついで活躍した程十郎だと考えられる。この人は、唐通詞神代家から養子に入ってきたらしい)
5.= 陽健三邦泰  文久3年5月7日  行年38歳
6.=足立礼三   大正3年4月29日 66歳

足立家の墓所がある祟福寺
 
 
仁十郎の墓 正面
右側面の仁十郎の記録
左側面の合祀されている妻の記録
   

祟福寺の隣にある大光寺には「西郷四郎」の墓がある。
西郷四郎は、明治時代の講道館柔道の達人で講道館四天王の一人で「姿三四郎」のモデルになったといわれている。
この人も会津とは深いかかわりのある人。

 

西郷四郎についてはとりあえず『ウィキペディア(Wikipedia)』をみてね。

 

 
   
   

 


 

 

長崎微熱  http://50s.upper.jp

 

 

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