歴史コラム・長崎の幕末・明治

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歴史コラム

ブログその他に書いたコラムの中から歴史に関連するものを集めました。
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「月明星稀6」は池田屋

盛田賢司の「月明星稀ーさよなら新選組6」が発売されていた。
氏の剣道漫画「しっぷうどとう」ファンだったので、「月明星稀」も1巻から次がまちどおしい作品になっている。
「4」が出た頃ちょうど「大河・新選組」も鴨暗殺前でテレビと漫画がシンクロしたが、大河・組!は終わっても、「月明星稀」のほうは、やっと「池田屋事件」。

大河では、山南が残留する理由が描かれず、単に土方の命令で残留組になったとされた。そのため、後の報奨金問題が出たときも,あたかも土方のいじわるのようになってしまったが、「月明星稀」では、山南残留の理由をしっかりと描いている。
鴨暗殺あたりから人を斬ることで心を病んでいきつつある山南は、自分と同じ志をもつ尊皇攘夷の士は斬らないと心に決めたので、出場しないと藤堂平助に話す。山南を尊敬している藤堂は、土方に、山南は病気だから休ませて欲しい。そのぶん自分ががんばるから、と願う。山南の様子を知っている土方は、山南に問いただすこともせず、藤堂平助のいうとおりにする。それによって、藤堂は、尊敬する山南の心を守るためと、土方のやさしさに報いるためという二重の責任を自分に課して戦うことになる。

月明星稀の近藤と土方の関係は、友人というより、心の師と師を慕う人に近い。師・近藤のためならどんな汚れ役もやってしまう土方の非情さとやさしさの葛藤。

坂本を尊敬してやまない望月の熱さゆえの行動と後悔。

尊敬する人を守ろうと命をかける男たち(土方、藤堂、望月亀弥太)三人三様の決死の闘いは壮絶で悲しい。
月明星稀は、男たちの献身の物語なのだ。侍の献身の証は命をかけることなのだ。

それにしても第1巻からの疑問、、サブタイトルの「さよなら」とは?
「さよなら」の意味がわかってくるのは何時頃になるのか。主人公・土方の最後が「さよなら」なら、このままでいけば、相当後になりそう。
途中打ち切りにならないようにするためには、連載雑誌で読むべきなのだろうが、雑誌で読むのは苦手。どうかどうか、箱舘まで連載がつづきますように。

大河でも、土方の生涯はちゅうぶらりのまま、どちらの土方も生涯をまっとうさせてあげたい。


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「彰義隊遺聞」読了。「情夫(いろ)に持つなら彰義隊」と言われた人たちの歴史

「情夫(いろ)に持つなら彰義隊」たぁ、最高のほめ言葉じゃねえか。

幕末江戸の仇花といわれていた彰義隊だが、市井の人たちの間では「情夫(いろ)に持つなら彰義隊」と言われて人気だったらしい。

森まゆみ著「彰義隊異聞」を読んだ。本の読後感などは、私の読書ブログ「乱視でごめん!」に書いた。

この本の表紙を帯をはずして眺めていたら、なんだか同じものを持っているような気がして家捜し。
あったぞ!
上野公園の西郷隆盛銅像の後ろ側にある「彰義隊墓所」で求めた絵葉書の中に同じ絵があった。(絵葉書は下の写真・9枚組だった。

上野公園のこの墓所は、上野戦争で死んだ幕府方戦士彰義隊士の屍を焼いた場所らしい。
墓碑銘は旧幕臣山岡鉄舟の筆で「戦死之墓」。賊軍であるということで「彰義隊」の銘が入れられなかったらしい。
この墓には、戦死者として、土方など箱舘での戦死者の名前もかかれているが、彰義隊で死んだと言われている原田の名前はない。原田=満州馬賊説がでるのはそんなところからか。

この墓所の横にちいさな茶店のような資料館があった。
絵葉書はそこで求めたもの。そして、資料館の維持管理費の募金箱があったので、募金したら、「彰義隊墓表ノ来由」と題した1枚の史料を頂いた。そこにいるだけで往時の江戸にいるような静かなたたずまいだったが、目の前の西郷像には多くの観光客や行楽客が集まっているのに対して、その後ろにあるこの墓所に足を運ぶ人があまりに少ないのが悲しかった。

今回この墓所のことを調べていたら、昨年5月に墓所併設の資料館が閉鎖になったとの記事をみつけ、唖然とした。
たしか、個人の管理だと聞いていたが、やはりもちこたえられなかった。残念です。墓石だけは残っているらしいがちょっと腰をおろして、彰義隊のお話をきいたりした東屋などないのだろう。

上野彰義隊墓所閉鎖
ブログ銅像大好き!西郷隆盛(東京・上野公園)によれば、近くの茶屋で史料が少しだけ展示してあるらしい。

5月に友人の出版記念パーティ上京する予定。そのとき、日野にも!と思っているが、上野ものぞいてみるかな。


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京都に行ったら,まずは「くろたに」
帰りの新幹線にはかなりの時間があったので、どこか1ヶ所のぞくことにした。
こんなとき、霊山歴史博物館にいくことが多いのだが、2月まで改修工事でお休みとのこと。
となると、やはり「くろ谷」だろう。
新選組フリークではあるが、京都の幕末の史跡で1ヶ所といわれれば、壬生ではなく、「くろたに」に行ってしまう。

「黒谷」は通称。寺名は「紫雲山 金戒光明寺」(しうんざん こんかいこうみょうじ)。京都市左京区黒谷町にある浄土宗大本山。
文久2年から鳥羽伏見の戦いまで、京都守護職 会津藩主松平容保公の本陣になったところ。ここには、文久年間から鳥羽伏見の戦いまでの会津藩士戦没者の墓所「会津藩殉難者墓所」もある。

京都駅から、銀閣寺行きの急行バスに乗って、東天王寺で下車。(ここから、哲学の道に入ると往年の土方役者・栗塚旭さん(大河では土方のお兄さんを演じた方)の喫茶「若王子」がある。)白川通を渡って、岡崎神社を通り過ぎると、右側に黒谷に行く路地がある。
路地を道なりに進むと参道前の大きな門が見える。門の左側には、大きな石柱に「くろたに」と彫られている。門には、「会津藩松平肥後守 京都守護職本陣旧跡」 の表札も。

黒谷は、塔頭(たっちゅう)が18院もあるほど広い。参道を進むと石段があり、見上げれば黒っぽい重厚な三門がある。
桜や紅葉に映えそうな建物。
近藤、土方たちも、恐れ入りながらこの石段を登ったことだろう。

三門の中も、華やかな色どりはないが、重厚でありながら清々しい御影堂や阿弥陀堂、文殊塔などが広い敷地内に配されている。全体雰囲気は城構え。
特に阿弥陀堂のゆるぎなく重厚でいながら、伸びやか。バランスの取れたフォルムで清冽な空気感を放っている姿が好きだ。

京都の街の中にありながら、観光客が少なく、静かなたたずまい。
阿弥陀堂の裏の坂を下ると黒谷墓地の入り口。
墓地の中、文殊塔に向って石段を登ると、途中に「会津藩士の墓地→」という石柱があるので、矢印のとおりに進んでいくと、墓所の奥まったところに「会津藩殉難者墓地」がある。
何時きても静かで小鳥の声しか聞こえない。

ここには、容保公が京都守護職を拝命した文久2年(1862)から鳥羽伏見の戦いまでの動乱で落命した会津藩士352名が眠っている。
墓所に入ってすぐ左には、林権助を筆頭に鳥羽伏見の戦いで戦死した150霊をまつる慰霊碑と、「戊辰(ぼしん)戦争戦死者道志るべの碑」。慰霊碑に花を生けて合掌。


ときおり聞こえる鳥の声と風の音のなかで、以前来た時に見つけた柴司の墓碑を探すが、なかなか見つからない。たしか、他の墓碑より大きめで厚みのある墓碑だったと記憶している。

柴司。池田屋事件後、会津藩から新選組に派遣された会津藩士10名のうちの一人で、「明保野亭事件」の責任をとって切腹した若者。21歳だった。葬儀のとき、人に泣き顔を見せない土方が声をあげて泣いたという話がなにかの本にあったが、史実かフィクションかは定かではない。

多くの石碑が風雪を経て、欠落や磨耗がはげしくなっている。
それでも、この墓所は、誰かが見守っているかのように、いつもきれいに清掃され、手入れされている。

墓所からの帰りに、文殊塔に回る。振り返って見下ろせば京都の街の向こうに遠く尾根に雪を残した山が見える。位置からいえば、天王山あたりかな。

黒谷から駅までは、タクシーで。
堀川通りを通ってもらい、二条城と西本願寺を拝み、油小路に入ってもらい、不動堂屯所のあったリーガロイヤルホテル前に回り道して京都駅に到着。
焼き栗と「冬季限定:焼き鯖と寿司の詰め合わせ弁当」を買って新幹線にセーフ!

黒谷は、「さしむかふ心は清き水かがみ」の心境にさせてくれる最良の場所。


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冬の鳥羽伏見戦場駆け抜け紀行

先週、所用で京田辺に。帰りは京都から新幹線。空き時間で、伏見の戊辰戦争関連の史跡を回ってみた。

近鉄・桃山御陵で下車。駅から出て左に上ると御香宮神社がある。薩摩藩将兵800人が布陣したところ。広い境内に立派な社殿がある。中央社殿入り口の門は伏見城から移築したものらしい。ここの湧き水は名水百選に選ばれている。飲んでみるとやわらかな口当たりで癖がない水。


御香宮から駅のほうに戻って、アーケード入り口手前から、左に折れて進むと右手に老舗料理屋「魚三楼」がある。玄関右側の格子窓には、弾痕が残っていて、慶応4(1868)年正月3日の鳥羽伏見戦の緒戦が市街戦であったのが実感させられる。
白刃を振りかざした永倉や原田たちはここらを走り回ったのだろうか?
映画「壬生義士伝」の市街戦のシーンが自然に浮かんでくる。大河では、戦場シーンがワンパターンで残念だった。人の死をしっかりと描きたかったという三谷には戦場で死んでいく人たちはどう映ったのか。その生死すらはっきりわからないほど悲惨なのが戦場。リアルな戦場シーンを描くことで、戊辰戦争の悲劇を描いて欲しかった。


魚三楼を通り過ぎて左に折れると桃陵団地の入り口がある。ここが伏見奉行所跡。
慶応4(1868)年正月3日、新選組や会津藩を主とした幕府軍や1500人が布陣したところ。ここの裏側は、御香宮がある高台の麓。背後を衝かれるとひとたまりもない位置にある。
土方が必死になって、御香宮を押さえようと進言した訳も分かるほど不利な位置関係にある。進言が聞き入れられなかった土方はどんなに苛立っただろう。みすみす好機を逃す幕府軍の緊張感のなさに、すでに敗戦を予感したかもしれない。
土方の気持ちで、御香宮方向を見上げた。団地の建物やビルにはばまれて空しか見えない。伏見奉行所は、鳥羽伏見の戦いで灰燼に帰している。


もと来た道をもどり、商店街を抜けて「寺田屋」に。400円で中まで見せてくれる。中は龍馬一色。「龍馬先生」という表記にくすぐったい居心地の悪さ。


鳥羽伏見の緒戦地である鳥羽街道小枝橋に行きたくてタクシー乗車。
碑が立っているところは小枝橋東詰で、伏見区中島秋ノ山町になるらしい。小枝橋はすでにない。慶応4(1868)年正月3日ここに布陣していた薩摩軍砲兵隊と幕府軍が出会って戊辰戦争の火蓋は切られた。このすぐ後、土方らが布陣したいた伏見奉行所でも戦が始まった。


ここから、また、伏見のほうにもどり、今回どうしても見ておきたかった激戦地・淀千両松を探した。なにしろ、所用の後の思いつきの下車なので資料になる地図も、本も持ってきていない。タクシーの運転手さんに、記憶の片鱗を語って、それらしい場所に行ってもらってはまたもどるの繰り返し。
千両松という地名が残っている土手下の作業場のようなところでうろうろしていると、ガードマンのおじさんが「その場所なら、競馬場裏手の「大なんとか」という競馬場に来る人向けの駐車場の横にあるよ。その場所も昔は松林があって、千両松というのはもともとそこのことだったのさ」と教えてくれた。

荒涼とした宇治川沿いの土手を走っていくとだだっ広い空き地が見える。ここは競馬場来場者用の駐車場。地図上の地名は納所下野というらしい。駐車場はずれの道路側にささやかな記念碑が見えた。
ガードレールと碑の間は人1人が通れるくらいの歩道。本当に道路際の排気ガスにさらされた場所にある。それでも、生けられた花はみずみずしい。

やっと行き着くことができた、「激戦地・淀千両松」。
慶応4年正月5日、伏見での戦に破れ、退却しながらも、幕府軍のしんがりを勤めた新選組は、伏見方面から追撃してくる薩摩軍を防ぐため、この宇治川土手上でぶつかり、大激戦になった。

井上源三郎が戦死。山崎烝も重傷。新選組隊士20名以上が戦死したところだ。
遺骸の回収もままならない激戦のため、源さんの甥っ子・井上泰助が、その首級だけでも持ち帰ろうと途中まで必死に抱えていたが、その状態では自分も危うくなり、泣く泣く刀とともに埋めてしまったと伝えられている。その埋められた場所は未だわからないとか。
日野市には源さんの立派なお墓があるらしい。井上源三郎の墓参
千両松で破れ、淀城にも入れてもらえなかった新選組や幕府軍は、八幡方面に敗走、ちりぢりになって大阪城に向ったのだろう。私は大阪方面から伏見に入ったので、その距離を体感している。

かなりの道のりをぼろぼろになりながら敗走する彼らを想像してみる。このとき、土方はどんな気持ちだったのだろう。「刀や槍の時代じゃねえな」と思いながらも、大阪城に希望を託して、次の戦場では勝ってやる!と決心したのかもしれない。

宇治川堤防沿いの河川敷の風景は、今でも激戦が目に浮かぶような不思議なオーラをもっていた。


 

 

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七草、土方歳三の句

七草もすんだ。
我が家では粥ではなく、お澄ましに七草と牡蠣をいれて食した。

実は、我が家の七草も「ねこづらどき」さんの七草粥〜フリーズドライ〜@越冬ぶろぐ家と同様、フリーズドライを使っての手抜き七草。地方に住んでいても、若菜摘みなどむつかしい。

土方歳三ファンとしては、七草と聞けば、この句が頭に浮かぶ。

「春の草 五色までは おぼえけり」

春の草は七草のこと。五色は五種類ととらえていいそうだ。
豪農の土方家だから、季節の行事も盛んだったろう。新春の七草もその1つ。末弟の歳三は、おにいさんたちの言いつけで若菜摘みに出かけたのかな?
「七草かあ、、五種類までは、見つけられたけど…。あと2つはなんだったっけ…?それにしても新春の空気は気持ちいいなあ、大好きな梅の香りもするだろうか」なんて思いながら句を書きとめたのかもしれない。


土方の句は、ほとんどの人が駄句という。
たしかに、幕末の志士たちの和歌のように、志とか理想とかまつりごとへの批判などが歌いこまれてはいない。
でも、視点を変えれば、志などが見え見えの歌なんて、野暮の極みではないか。
土方にとって、粋でありたいというのが、生涯のテーマだったのかもしれない。
少なくとも、豊玉なんて俳号で俳句をひねっていたころの若い土方にとっては、野暮は死ぬほど恥ずかしいことだったと思う。
季節や自然に目をむける細やかな感覚を持った男という意味でも、土方のモテ要素は現代に通じる。

古臭い批評家たちの呪縛から離れて、土方の句を見直して欲しい。
(まあ、土方は、そんな批評なんて気にもしていないだろうが…・)



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2つの土方写真が明かしてくれたもの

 「着メロも待ち受け画面も意味なし!」というのが持論だった私がついに待ち受け画面を作ってしまった。
「月刊TVnavi」というテレビ情報誌に掲載された山本耕史が扮する洋装の土方写真が私的にかなり満足だったので、この写真をちゃっかりスキャニングして待ち受け画面用画像を作ってしまった。

先日、私の携帯電話の画面をチラリと見た幕末ファンの友人は、すかさず「おお、土方ですか」と反応。それからちょっとばかり雑談していると、その友人がなんとなく腑に落ちない顔をして「でもなんでカラー写真なんだ?」と来た。意味が分からずにいたら「だって、幕末はまだカラー写真はないよね、これなぜ?」と言う。
なるほど、彼はこの土方写真が山本耕史くん扮する土方であるのに気づいていないのだ。「よく見てよ、これジョークの写真よ」と説明すると、「なるほど!」と納得。「それにしても良く似ているねえ」とうのが、ほとんどの人の感想のようだ。

幕末ファンが、ちらりと見ただけで即座に土方と認識するこの写真は、私たちが思っている以上に貴重な情報を持っているのかもしれない。

実際の土方の写真と山本土方の写真の違いで顕著なのは、視線の先にあるものだろう。
山本土方のポーズは左手で刀を持っているところから推し量って土方家にある全身像を模していると思う。佐藤家にある市村鉄之助が届けた写真は両手とも膝の上にあり刀を握っていない。
山本土方は、カメラ目線。レンズの向こう側に挑むようなするどい視線を放っている。この視線の先には、視線に射られる何かが形として存在していると想像できる。
実際の土方の写真は、なぜかカメラを見ずに、どこか遠くを見るような静かな視線。視線の向こうにあるものは確固たる形あるものではなく、そこに人がいても、その人を通り抜けてはるか向こうを見ているような不思議な距離感を感じる。

土方のこの写真は「多摩の人と歴史」にもあるように、撮影された時期について、死の数日前に函館市内で撮影した明治2年説と甲陽鎮撫隊で出立する前に江戸か横浜で撮影した慶応4年春説2通りの説があるらしい。

今回の山本土方の写真は、函館撮影説をさらに強化するものになりそうだ。

山本耕史がこの写真を撮影したのは大河ドラマ収録も終盤の頃だろう。、
そのころは、山本自身が、雑誌インタビューなどで、「かなり自然に土方になりきれていることが、演技者としていいのかどうか…」「この1年で土方の一生を生きたような気がする」などと言っている。終盤、役と彼自身は、かなりシンクロしていたのだろう。
TVnaviの写真は、そんな山本が大河の終盤、甲陽鎮撫隊から宇都宮までの土方に成りきって挑んだ写真だと思う。
その山本土方の視線は、挑むようにレンズに向けられている。よしんば、視線をレンズからはずさせても、眼光鋭く身近なものをにらみつけたに違いない。少なくとも死地を求めている静かな視線とは程遠い。
と言うことは、静かな視線の実物の土方の写真は、甲陽鎮撫隊のころではないということになる…。


使い捨てのTV番宣雑誌の写真や記事が、未来の史料になるかもしれない。
無駄じゃなかったよ。


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新選組!は参加できる大河ドラマとして新しい歴史を作った。
大河ドラマ「新選組!」も、26日の総集編を残すのみ。

今年1年、1回も欠かすことなく見続けた。これほどTVドラマを真剣に見たのも珍しいこと。
龍馬熱の強い地元で長年の隠れ土方ファンである私にとって、「新選組」が主役の大河というだけで感激ものだったが、加えて、山本耕史というクレバーな役者が土方像を演じてくれるというおまけつきだった。

私の中での土方への興味に、新選組以前の若い頃、多摩のバラガキといわれ、へたな俳句をひねり、薬売りをしながら、ひたすら武士にあこがれるただの若造の頃の屈折した思いを知りたいというのがある。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」でも、この部分はしっくりとこなかった。山本耕史は、この若い頃の土方の姿を期待以上に具現化してくれたし、それ以上に、終始、的確な演技で1年間のドラマの土台を支え、最後まで土方という史実の人物を破綻なく演じきってくれた。土方ファンとしては、長年の想いへのご褒美をもらったような感がある。


このドラマを見続けている間にいろいろな現象を発見できたことも収穫の1つ。それらの現象とは…。
まず、放送開始当初というより、配役が決まった当初からマスメディアや一部評論家のあいだで酷評され、あたかも視聴者も少ないようなイメージを振りまかれていたが、これまでの大河ファンではない若い層にコアなファンを作っていったということ。
最初の頃は、ある漫画家のコメントに代表されるように、自分が作った独自のイメージとは違う大河の中の人物像を否定するような子どもっぽいブーイングもあった。しかし、それも3月ごろには、沈静化し、大河の中での人物像を自然に受け入れての感想を聞くことが多くなった。マスメディアの批判に反して、斬新な大河は早い時期に、受け入れられていたことの表れだ。


これらの現象をはじめ、、多くの情報を知るのに、インターネットが大きな役割をはたした。
今回、初めて、2チャンネルのあるカテゴリーを継続してのぞいていた。毎回ドラマが終わる瞬間からどんどん書き込みがなされ、深夜まで続く。熱い。どこから調べてくるのか情報がとても早い。そして、どんどん伝播していく。

もう1つ、特徴的なこととして「ブログ」の利用がある。
大河「新選組!」の感想を書いているブログが数多くあり、それぞれが、ものすごい情熱と愛情で書き続けている。視点も、文章も千差万別。それぞれが興味深く、情報満載。考察のポイントや掘り下げの深さは、やわな評論家やコラムニストが及びもつかないくらいすごい。

ブログの書き手はほとんどが10代から40代前半の女性だろうと推測される。
彼女たちを単純にコアな追っかけとみることもできるかもしれない。でも、ヨン様ファンの追っかけの姿とは明らかに違う。
ヨン様ファンの熱さと行動には、自分たちが作った現象なのに、いつのまにかメディアに煽られて画一的な行動しか取れなくなった純朴なファンの姿が見える。「キャー」と「素敵」と「かっこいい!」に代表されるような叫びと感嘆による幼稚な自己表現が特徴的なのに対し、「組!」のファンたちは、他の人と違う視点と言葉と情報収集力を武器に、自分の情熱と想いを文章や絵で表現することに力をそそいでいるように見える。

ブログのみなさんから、ずいぶんと貴重な情報をいただいた。特に白牡丹のつぶやきさん 、ASYLUMさん 、芸術一筋八十八歳蹴球白書は歓喜色さん、ありがとう。

彼女たちを初め、多くの「組!」ファンブログがすごかったのは、自己表現と知識ばかりではない、ネットワーク力を駆使して、願望を実現する実行力があるところだ。彼女たちは願望の実現のためには何をすればいいのかを知っているし最適な行動の方法と時期も知っていて、最適な時期に迅速に対応するスキルを持っている人々である。
彼女たちのスキルが発揮された一つの例として、ドラマ連載中のDVD発売決定がある。

NHKは、11月に、大河ドラマ「新選組!」の完全版DVDボックス]の発売を公表した。ドラマ途中でのDVD化の発表はこれまでになかったこと。いかに、要望が大きかったかの現われだと思う。また、このきっかけを作ったのはブログの書き手たちだった。彼女たちは、早くから「たのみこむ]に完全版DVDの製作・発売を要望するキャンペーンを仕掛け、それぞれのブログで記事やリンクで紹介し、キャンペーンの広がりの一助をかってでた。

新撰組!DVD化キャンペーンについて、「たのみこむ」では、以下のように紹介されている。「「たのみこむ」に大河ドラマのDVD化要望は数多けれど、ここまで賛同者が集まったことはありませんでした。大河ドラマ始まって以来の型破り的作品と評される大作のDVD化には、現在、賛同者約600名が集まり、総合ランキング14位となっています。」(たのみこむWEBより抜粋転載)ということで、多くのファンの要望が発売決定の要因になったことは確実。さらに、総集編のDVDも出るらしい。それも出演者たちによる座談会が併載されるという。さすがに、製作側もなにが求められているか学習してきている。


10月には、糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が週1回、座談会形式の感想を掲載し始め、その会話の中でDVD化を要望。それに呼応するかのように、新選組ブログのほとんどが、「ほぼ日」サイトへのリンクをはった。

テレビ局側にも、変化があった。「スマステーション」などの民放番組が、「新選組!」応援のような企画をし、出演者が登場した。NHKでは、脚本家三谷幸喜が出演したトーク番組で民放連ドラだった古畑任三郎のテーマ曲をつかったり…。局の枠を超えて視聴者の欲するところにずばりと好球を投げ込む太っ腹度に驚かされた。


NHKは、スタジオパークで撮影風景を公開し、全国数箇所で出演者によるトークショーを開催。出演者とファンが思い共有できる場を作っている。これらの事前情報もレポもブログや2チャンネルなどでタイムリーに紹介されていった。
トークショーは、大河ゆかりのご当地以外の地にも、大河ファンを呼び込むという役割も果た。

「新選組!」の特徴の1つに舞台人・特に小劇場の俳優たちの出演がある。主要メンバーでも、土方、沖田、山南、藤堂、井上、捨助役の俳優たちは活躍の中心が舞台。「新選組!」で彼らのファンになった人たちは、彼らの舞台にも流れた。演劇界は一時的かもしれないが、「新選組!」を通して新しいファン層を獲得したのはまちがいない。


このように、今回の大河ドラマ「新選組!」は、これまでに見られなかった新しい形のムーブメントを起こしたことは、間違いないと思う。
その大きな特徴は、これまでの「見る」大河ではなく、「参加できる」大河であったところだろう。


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またまた、土方という生き方はしんどいと思う。

ビデオ取りしていた大河ドラマ「新選組!・友の死」を観た。
山南敬介が切腹する1日の話なんだが、どうしてもしっくりこないのね。
山南の静かな覚悟や彼を何とか助けようとする友情やどうにもならないやるせなさ、なにより仲間の重さというものを描いた回なんだろうけど、山南の子どもっぽい甘えに見えてしまう。

彼の行動の中途半端さとそれに振り回される人々の心の傷の重さがどうしても受け入れにくい。
逃げるなら周到に逃げよう。中途半端に他人(明里)を巻き込むな。追っ手の沖田だって逃げるチャンスをくれたのだから強い思いがあるなら逃げたはず。巻き込んだ明里のためにも逃げなければいけないはず。女の立場で言えば、無責任すぎないか!ましてや、理由もなにも話もせず、死の直前まで出来もしない約束をしている。無責任ではないか!

決心して隊に帰ってからは、自分の美意識の中に篭って、仲間たちの必死の助命行動も振り切ってしまう。結果みんなに仲間を助けきれなかった負い目を背負わせてしまっている。
はっきりわかっていることは、山南の死の責任はほかの誰にもないということ。これは山南が自分から起こしたできごと。斉藤の見方は的確。

人によっては、土方がいじめたというかもしれない。しかし、土方は、新選組という組織を守るためにオフシャルな行動をとっているだけで、まちがっていない。
第一、会社などで、いじめたとか、居場所がないとかいう理由が通るかな?仕事がなければ仕事をつくれ、理解してもらうために努力しろ、会社はそんなに甘くない。…壁にぶつかってのりこえたり、打ちひしがれたりしながら生きていくのは当たり前のこと、現代でも。

岩木枡屋のシーンは、土方が山南の実戦能力のなさを知らされたシーンでもある。山南は戦いの場には出せない、しかし、それを部下に知られてはまずいし、山南のプライドも傷つく。その解決策が総長という実戦から離れた役職と山南のコンバートだったのでは。そう考えると、前回の土方の言葉「あんたの進むべき道は俺が知っている。」が理解できる。
土方ならではの配慮であったのだろうが、山南は土方から配慮されたということが受け入れがたかったのではないだろうか。池田屋もその後のことだから、山南を屯所に残したのは、実戦で一番危うい人を残したということだろう。

それにつけても土方や永倉・原田は重いものを背負ったものだ。
君の行動は間違っていないといわれ、これからどのような時代になるか見えないといいつつ新選組はお二人の肩にかかっているといわれると、もう逃げられなくなる。土方は、鬼であることを辞められないし、最後まで新選組を背負わざるを得ない。山南は自死と引き換えに新選組という十字架を土方に背負わせた。途中で降りることもできず、箱舘まで戦い続ける土方はここで作られたのかもしれない。永倉・原田がどこまでも勇敢に白兵戦の先頭に立っていくのも剣士の集団「新選組」の看板役者として支えていたからだろう。

浅田次郎の「輪違屋糸里」の最後を思い出す。
女の幸せを断ち切って島原傾城のプライドに生きると決意した糸里が、愛していた土方にあなたもサムライを降りるのはずるいと迫る。
もっとも武士らしい生き方をつき進まざるを得なくなった土方の最後の姿が自然と眼に浮かぶ。

つくづく思う、土方という生き方はとてもしんどい。



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いまさらだけど、「大河ドラマ・新選組!」は、すごいドラマなんだと実感している。

ドラマは、池田屋事件が終わって、新選組がようやく幕府から認められ組織の拡充をはかる時期、そのやり方の違いで土方と山南が対立し、やがて山南の脱走につながるというところに来ている。2人の対立シーンは瞬きする時間さえ惜しいと感じさせる緊張感と切なさが張り詰め、放映時間が終わってからもシーンがフラッシュバックしてくる。

そのわけは、土方、山南を演じる2人のクレバーな俳優たちの演技にあるのかもしれない。台詞以上に雄弁な表情や姿が、複雑な心の襞まで表現してしまうので、見ているほうは、そのミステリアスな雰囲気に捉えられ、深読みしてしまうのだ。
さらに二人の対立のバックボーンとなっている考え方も、それぞれに理がある。それぞれの立場から考察してみるだけの価値がありそうだ。

この30話、31話に引き付けられたのは私だけではないらしく、新選組!の放映を見た後に訪問したいくつかのブログやファンサイトでも、この2話に限ってはファンとしての感想や応援メッセージより、考察のほうが優先していたし、思いも付かない深い切り込みがなされているところが数多くあった。

「「白牡丹のつぶやき」というブログでは、土方ファンなのだがと断りながら、30話「永倉新八反乱」を組織編制と報酬 土方さんはなぜキレたのか」と題して経営学的視点から語り、31話では,建白書事件を戦闘組織における「造反」=最高の罪と捉える土方の視点、「造反有理」=反乱する側にも理由があるとする山南の視点という形で冷静で興味深い分析をしている。私も深く納得した。


「ASYLUM〜山本土方ファンによる「新選組!」日記〜 は、一般的な心情から建白書事件のまずさを指摘している。

水川清話では、「土方と山南、あのことも忘れていないだろうな。」と題して、これまでの山南の行動を分析して、土方が根っこで山南を信用できない理由を考察している。


山南ファンのだんだら通信では、山南は表面には出てこないけど、案外野心家な部分も持ち合わせた人だったかもと、他の山南ファンのブログとはちょっと違った視点があった。

これまでの大河ドラマで、登場人物の行動や心理状態について、これほど深い考察がなされたことって、あっただろうか。
新選組ブログの執筆者の多くは女性のようだ。1つのドラマから、独自の切り口をもってかなりのボリユームの文章を書き続ける女性たちのエネルギーと想像力に感服し、拍手を贈っている。
彼女たちを触発したのは、若い俳優たちの型にはまらない個性的な演技から沸き立つ魅力と、それを引き出している三谷脚本、それと題材の「新選組」面々の際立ったキャラクターだろう。

「新選組!」スタート時に多くのバッシングを受けた三谷脚本と、これまでの大河の違いはどこにあるのか、と思っていたら、たまたま時代劇チャンネルで、昔の大河「武田信玄」が放映されていた。
筋書きをナレーションと台詞がなぞるというような大河的脚本なので、わかりやすいが、当て振りの踊りをみているような物足りなさを感じてしまう。そこが、「新選組!」との大きな違い。また、1シーンの長さも大きく違う。三谷「新選組!」は、短いシーンを小気味よく積み重ね、絶妙なスピード感を作っているのに対し、「武田信玄」は1シーンが長く、シーンのほとんどを台詞が埋めている。たとえば、いまわの際の病人がとうとうとしゃべる内容で、病気であることの無念さを表現する。そのシーンが数分もおよぶ。「新選組!」では、沖田の「なんで私が…。くやしいです」という言葉と表情、それに返す言葉もない土方の表情で、どうしようもない宿命を受け入れられないやるせなさを表現する。

この違い、私の中での、野球とサッカーの違いに似ている。
三谷脚本の大きな特徴は集団のプレー。場面場面で主役が変わり、それをうまく繋いでで1つの見せ場を作っていくし、思いもよらぬところでカウンターになるギャグや人物やエピソードが入ってくるので、気が抜けない。
野球は喚声を聞いてから画面をみてもホームランボールの行方は追えるが、サッカーは喚声があがったときにはボールはゴールに突き刺さっている。ゴールの瞬間の目撃者になるには、ちょっとの隙でも目が離せないのと同じだ。
ホームランに至る情景は、見ていなくても想像できるが、サッカーのゴールは、予測不可能。想像力で埋めるには、その情景が無限に存在する。見るものにより高度な想像力を要求しているのだ。

新選組!に否定的だった記事の執筆者や発言者の多くが、プロ野球(おじさん)世代の男性だったのは、象徴的。
新選組!は、湯上りのビールを手に、片手間に眺められるドラマではない。きっちり向かい合って見てこそ、そのおもしろさが分かるドラマなのだ。
軽妙なタッチだが、ドラマとしてのハードルが高い。それを、ゴールデンタイムのお茶の間に突きつけているのだ。つくづく、三谷幸喜という人は土方みたいに思い描くもののためには、容赦のない人なんだと感服する


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土方君は、つらい
大河ドラマ「新選組!」も、先週あたりから、興味深い展開になってきた。
「なんかすごいことやろうよ!」ってことで集まった若者集団が、社会的認知を得て、次のステップに進もうとする。
グループの力を不動のものにするため組織強化をする土方君と、培ってきた人間関係を大切にし、これまでどおりぼちぼちやろうとする永倉、山南君との対立。

なんだか、「メジャーデビューを確約されたインディーズバンドへの製作サイドからのメンバーてこ入れ」や、「気のあった者たちで立ち上げたベンチャー企業にキャピタルが付いた時」って、感じがする。

株式公開するような企業になれば、株主に対する責任や、社会的責任が課せられてくる。
会社はすでに、仲間たちだけのものではなくなってくるんだけど、おいそれと、仲間同士の熱い関係をほどくことはできないし、本心したくない。
それをあえてやっていこうとしているのが土方君なのだろう。

土方君だけは、すでにルビコン河を渡っている。
彼は、山南君にも一緒に渡って欲しいのだろう。「一緒に渡ってくれさえすればいい。いやな役とかきつい仕事は自分がするから、渡る決心をしてくれ。そうするとみんなも安心してついてこれる」と暗に懇願し、手を差し伸べているのだと思う。が、山南君には、仲間愛からか、先行きの不安からか躊躇がある。躊躇がありながら、そうでないふりをして仲間大事を説く。インテリの弱点。やさしい人だけに、土方君をとがめることなく、自分が我慢して丸くおさめてきたことへの驕りもあるのかもしれない。
どんどん非情に成っていくと宣言した土方君が山南君に向ける視線には戸惑いや懇願があるのにたいして、山南君の視線はだんだん憎悪をはらんでくるのが悲しい。大きな亀裂になる前に、ぶつかり合うチャンスはなかったのか。

ビッグになるということは、決して楽しいことではない。
起業家セミナーなどで、よく言われること、経営をやりたいのか、仕事をやりたいのか。
経営は仕事をするより、何十倍も大変。
「好きなことを仕事にして楽しくやっていく」と「大きな会社を経営する」はなかなか結びつかない。
それが分かっている土方君は、なんとかみんなに理解してもらいたいが、理解に結びつく「言葉」を知らない。言葉を労しないことが男だと思い込んでいる土方君、これからもしばらくはつらい思いをするだろう。

おばさんは、二人に伝えてあげたい、「気持ちは言葉にしなければ届かない」んだよと。


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製作・著作:平野惠子
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