歴史コラム・新選組、戊辰戦争

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歴史コラム

ブログその他に書いたコラムの中から歴史に関連するものを集めました。
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「新選組隊士山崎丞 取調日記」で想像は広がる

いくつかのブログで増刷希望が出されていた「新選組隊士山崎丞 取調日記」だが、幸運なことに私の手元に1冊ある。
発行されているとの情報を得た直後、日野市に問い合わせし、送っていただいたものだ。そのとき、担当の方から、何部要りますかとたずねられた。もちろん1部で結構ですと言って依頼書に送料と自分のあて先を書いた大型封筒を同封した。その時点では、まだ部数に余裕があったのだろう。今では、初版の300冊はすでに品切れになったと聞く。幸運だった。

「新選組隊士山崎丞 取調日記」は、本というより、A4サイズで表紙も入れて28ページの簡易製本した資料集という感じのものだ。
中は、日記の各ページを見開きで写した写真と書かれた文を活字で起こしたもの。

この「取調日記」は個人の日記というより、メモ帳のようなもので、興味深いのは、複数の違った筆跡でかかれているところだ。
達筆の草書文字があると思えば、たどたどしいかな文字ばかりの解読不能の文もある。

このメモ帳は、山崎がいつも懐に入れていたものではなく、山崎と監察方メンバーたち共有の覚書だったのかもしれない。

それぞれが情報を持つより、担当者全員が1つのノートに書くほうが情報の共有や徹底が図りやすい。
文や文字の上手下手は問わない、いかに早く全員に情報を伝えるかを第一目標にした共有のノートであれば、新選組って組織の近代性の裏づけにもなるなあ。

組織の中での情報の共有化って、現代の企業や組織でもなかなかうまく運営できていない。
もし、この取調日記が私の推測のような意味で使われていたら、イントラネットの考え方の原型みたいなものだね。
なんとなく、土方が考えそうな仕組みだ。
それを、最も信頼している監察方に取り入れさせているというのも納得がいく。
情報の重要さを人一倍理解していた土方や山崎は、ある意味、相当の近代性をもった人間だったのかもしれない。近代性は、思想だけでなく、営みや仕事の仕方にも見られるはずだ。そのような意味で、土方歳三は坂本龍馬と並ぶ自由な発想と近代性を持った男というべきだろう。


以上は私の勝手な推測で、確かな証拠はなにもない。
たった28ページ(表紙込み)の資料から広がる憶測の小宇宙(大げさ!)。
日野近くに住んでいたら、「新選組隊士山崎丞 取調日記」を読み解く研究会にも参加できるのだが…ウエストコーストからではあまりに遠い。
研究会の報告を読ませてもらうことで我慢するしかないなあ。

日野市ふるさと博物館さま、「新選組隊士山崎丞 取調日記」を手に入れることができなかった多くの愛好者のためにも、増刷をお願いします。

 


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待望の「佐藤彦五郎日記」は7月発売

待望の「佐藤彦五郎日記」は7月発売 編集 | 削除

日野宿本陣文書検討会サイトに、佐藤彦五郎日記の出版概要が掲載されていた。7月初め、上下2巻と日野宿本陣資料集が同時刊行されるとのこと。
つい先日、展示されている佐藤彦五郎日記を見てきたが、実物を見ると絶対に中に何が書かれているのか読みたくなるような魅力をもった日記だった。思ったより早い刊行にわくわくしている。
日野では、今後、「佐藤彦五郎日記」や先に簡易印刷で刊行された「山ア丞取調日記」を囲んでそれこそ文書検討会や研究会が継続して活発に開かれることだろう。近くであれば是非行きたいが、ウエストコーストからではあまりに遠い。残念。検討会などから、すばらしい解説本が生まれることを期待して待つことにしようっと。

日野宿本陣文書検討会の記事によれば、

1857(安政4年)から1869(明治2年)が4冊見つかりました。ただし1861(文久元年)1月20日から1864(文久4年)10月20日までは未確認でした。 昨年秋から日野宿本陣は改修工事が行われ、襖の下張りにある文書等も調査されたようなので、この中から未確認の日記が発見される事を期待しています。
と言うことらしい。
襖の下張りの文書というのに、またまた、興味深々。
わざわざ襖の下張りを調査したということは、代々言い伝えがあったのだろうか。官軍に見られるとまずい日記の一部を下張りに隠したかもしれないし、日記にとどめられないもっと個人的なことが書かれた紙切れが出てくるかもしれない。期待は膨らむ。

実は、我が家でも、襖の下張りから白系ロシアのお札が何枚も出てきたことがあるのだ。
私の父方は幕末明治の長崎で居留地に住んで外国人相手に商いをしたり、簡単な通訳をしていたらしい。この商いは戦前までいろいろと姿を変え場所をかえつづいていたようだ。
長崎には、白系ロシアの裕福な商人たちもたくさんいた。しかし、ロシア本国でロシア革命がおきて、白系ロシアの紙幣も通用しなくなった。商売で手に入れていたロシアの外貨が紙切れ同然になったので、おじいさんたちは、襖の裏張りに使ったらしい。おさなかった父はそれを見ていたか、誰かから口伝えに聞きかじっていたのかそのことを覚えていた。、古い家周辺の土地が売却され家が壊される時、父は、その襖を持ち帰り丁寧にはがしていたが、本当に数枚のロシア紙幣が出てきた。その紙幣は、今でも父の遺品の中にある。

たった数枚のロシア紙幣にまつわる父の思い出話から、ロシア革命によって帰る国をなくしたロシア商人や貴族たちの悲劇を実感したものだ。父が幼い頃よく遊んでいたローラという女の子も白系ロシア人でそのまま長崎に住み着いた人たちの子どもだったらしい。その子の一家は、その後上海の知人を頼って日本から離れたと父は話していた。

「佐藤彦五郎日記」は庶民の家に残る生活の記録や思い出の品が、思いがけない貴重な史料になりうるのだと実感させてくれることだろう


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佐藤彦五郎日記がもうすぐ発売らしい

日野宿本陣文書検討会の記事によれば、待望の佐藤彦五郎日記が、7月上旬発売になるらしい。
内容ははっきりしないが、活字本で、全2〜3巻になると書かれている。書き下し文なのだろうか?解説付きだろうか?期待は膨らむ。

佐藤彦五郎は、大河では、人のよい名主のおっさんという人物設定だったが、日野宿本陣にのこる日誌や、もろもろの通帳、書面などをみると、お上から預かった複数の仕事をこなしているたいへん優れた人であり、日野の人々から頼りにされていた人物だということがわかる。

日野宿本陣のボランティアガイドさんの案内で見た彦五郎さんとのぶさん夫婦の部屋という納戸は、6畳ほどの狭い部屋だった。建物の大きさからすると、本当に質素な暮らし方をしていたのだと分かる。
ガイドさんの説明で興味深かったのは、この部屋の天井板は、当時のままらしいが、この天井を張ったのは大石鍬次郎だそうだ。のぶさんはこの部屋で庭を眺めながら針仕事をしていたのだろうか。その針箱には、市村鉄之助の身を託した歳三の最後の手紙(紙切れ)が入っていたのだろう。大河での浅田美代子ののぶ姉さんはとてもよかった。恥ずかしがって寝そべる歳三の横で、子どものころの歳三の手柄を話しながら、「(どんなたわいもないことでも子ども(弟)の成長のエピソードを)覚えているのが大人の務めなのよと、言うのぶと歳三と近藤のシーンは大河のなかでも大好きなシーンの1つだ。

また、なげしの釘隠しの意匠がここともう1つの間だけ違うのも興味深かった。ほとんどの部屋の釘隠しの意匠は花菱だが、納戸は、つがいのウサギの図案だ。夫婦円満・子孫繁栄ということか。玄関の式台の部屋(ガイドさんによれば、この部屋で歳三がよく昼寝をしていたので歳三の部屋というらしい)の隣の部屋の釘隠しは、「こうもり」の図案。なかなかいい絵柄だった。なんとなく、歳三の昼寝には、玄関から近いし、上がりこんで襖を閉めるとだれにも見えないこの部屋のほうが似合いそうだった。

佐藤彦五郎日記も展示してあった日野宿本陣は、内部の写真撮影も許可してくれている。受付嬢がとても気配りのある人だったことも書き留めておきたい。

 


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日野「とうかん森」アルバム


先々週の日野訪問で印象深かった「とうかん森」。
それは、以前はもっと大きい森だったと思うのですが、いまあるのは、ほんとうに狭い、児童公園ほどの広さもないところでした。
しかし、そんなに狭い場所なのに、森のオーラは強かったなあ。
「トトロ」の森のイメージが湧いてきました。
石の鳥居をくぐって見上げるとそこには太古の自然のようなものすごいエネルギーが感じられます。重なり合った木々の枝からもれる空やそよぐ風のさわやかなこと。
わたしは、ここで1日でも過ごせますね。
気持ちがいいところでした。
と言うことで、とうかん森アルバムです。

遠くからみえる森の先端。なぜか、あの木ががとうかん森だな!と直感でひらめきました。森のオーラが呼んだのかな。

森で出会った猫は、抜かりない眼光なわりに、人懐っこい。しゃけのおにぎりをちょっと分けあった。

石の鳥居をくぐるとお社が…。このお社の神様は、お稲荷さんなのかな?代々土方家一族が祭っていたらしい。

何本もの木々やかずらがからまって、いつのまにか1つの生命体になったような不思議な木たち。木々のずっと上のほうをわたる風の音が聞こえてくる。同時に、木の実なのか、枯れた葉なのか、ぽろぽろと落ちてくる。通る人や見学に来る人がいなければ、この森で、昼寝したい。


木々の緑の豊かさに圧倒されそう。ココには、原始のエネルギーがあるね。


夜になるとこの森のてっぺんにトトロがでてくるんじゃないかな?とおもわせるような豊かな茂りがある。


そうそう、「とうかん森」のとうかんってなんだろうと思っていたら、「稲荷」の音読みがなまったものらしい。
幼い土方歳三を育んだ森。
じつは、ここの木がなんの木だったのか、確認できなかった。とうかん森の木の種類をごぞんじのかた、教えてください。


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土方を育んだ風土が語る気持ちのいい土方解説本「子孫が語る土方歳三」

「子孫が語る土方歳三」
土方 愛 著 新人物往来社発行
2005.5.11初版

先日、土方の愛刀についての講演会に出かけた折、土方歳三資料館で、この本を求めた。
その場に著者ご本人もいらしたし、お母様もいらしたので、正直、ご祝儀のつもりで購入したのだが、これが、なかなかおもしろい本だった。

史実の人に興味を持つと、やはり小説など創作だけでは物足りなくなる。周辺の歴史的背景を調べたり、現地に足を運んで見たりすると同時に、史料を読んでみたくなる。また、そうすることがその人への礼儀でもあるように思っている。

しかし、史料を読むにはそれなりの技術がいるし、書き下し文になっていても、その周辺がわからないと表層的なことしか理解できない。素人が史料を読むには、やはり的確な解説が欲しくなるのだ。
この「子孫が語る土方歳三」は、史料の解説も平易な文章で書かれ、とてもわかりやすい本になっている。
よくある子孫であることでその人物を独り占めするような一方的な思い入れがなく、先祖や故郷を愛する心と客観的な視点のバランスが爽やかで気持ちがいい。

いくつかの小説などで、安富才助が五稜郭から送った書状に書かれている和歌「早き瀬に 力たらぬや 下り鮎」を土方の辞世と書いたものがあったが、それも、この本の歳三の戦死の部分で、そうではないことがはっきり分かる。
安富才助の書状は、当時の五稜郭の切迫した空気がつたわるような文字の乱れが生々しい。その姿だけで、心を打たれる書状だ。
また、当時の五稜郭庁舎が写っている絵葉書も掲載されている。漠然と想像していた建物の姿が現実の物として確認できる、私には貴重な写真だ。

また、これもよく小説などに書かれることだが、土方の愛刀「兼定」の鍔の図柄が梅一輪だという間違い。これも本書のなかで正されている。
土方の愛刀の鍔の絵柄は「七夕図」である。梅と思われている部分は梶の葉、それに唐墨があしらわれている。七夕の朝、梶の葉にたまった露で墨を摺って願いを書くと願いがかなうとの伝承を著しているらしい。

土方の死後、賊軍の一族としての苦労なども書かれているが、それでも多摩や日野の人々は、近藤、土方を愛し、必死になって彼らの復権に尽力している。
本書を通して感じることは、土方を生んだ風土の温かさだ。
あとがきに、「個人で資料館を運営することは大変だろうから、遺品は公の機関に寄贈してはどうか」とのアドバイスを受けるが、できる限り歳三の生まれた土地で、先祖が守ってきたように子孫である自分たちが守り、次の世代に継いでいきたいと書かれていた。賛成である。著者たちであれば、もっとも土方歳三らしいかたちで遺品を守ってくれると思う。


話は変わるが、日野宿本陣跡に展示されていた佐藤彦五郎の日誌は、まだ全部解読されないのだろうか?かなり分厚い日誌であったので、これが解読され、本になるのを楽しみにしている。
そして、もう1つ、昨年秋ごろ見つかった監察方・山崎蒸の「取調べ日誌」も気になる。そろそろ出版されるのではないかと思うのだが、どなたかそんな情報をお持ちだろうか?ご存知の方があれば教えて欲しい。

史料は、物語以上に想像力をかき立てる。


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新選組と千葉氏

NHKの発表によると大河「新選組!」の続編が、単発ドラマとして来年の正月放映に向けて制作されることになったとの情報を得た。
脚本は三谷幸喜、勿論主役は土方でしょう、その土方もも山本耕史と、大河と同じ。大河ドラマの続編が作られるということは、NHK大河ドラマ始まって以来のことらしい。
「新選組!」快挙!!!
想定内のことしか認められない古い頭の方々から、バッシングを受けていた「新選組!」だが、またまた、新しい歴史をつくることになったね。無責任はバッシングのなかでも勇気を持って新しいことに取り組めば、さらに新しい発展のチャンスが得られるんだとの勇気をもらった思いがする。
「新選組!」の快挙は、ビジネス展開の教訓にもなるなあ。と、つい自分に返して思いにふける。
とにかく、今日からまたまた「新選組」な毎日がはじまる。


新選組な毎日の第1弾は、「千葉氏探訪」の鈴木佐さんから、もらった興味深いメールの覚書。

●松本良順先生は、千葉佐倉の出身。義理の甥・佐藤進とともに会津の戦にも参戦し、只見で河井継之助の最後をみとり、会津のお城に篭城し、負傷者の手当てを続けた。土方のことを高く評価した人の一人。続編でも登場して欲しい人。

●千葉周作道場四天王の一人森要蔵は上総飯野藩(富津市)藩士。尊皇攘夷の人だったが、忠義を通して会津軍に身を投じ、白河で板垣退助指揮下の官軍の大軍を相手に奮戦、散った。
白河の戦さ時は、土方は足を負傷しているので、山口二郎(斉藤一)が白河に参戦した新選組の隊長を勤めていて、このとき、容保公に拝謁している。大河の最終回、容保公と斉藤一のシーンは白河の戦の場だったのかもしれない。

●容保公の義姉・照姫は飯野藩主・保科正益の娘。会津篭城戦では、奥女中や藩士の妻女を指揮して負傷者の看護・炊事・弾丸の製造、火災の処理にあたった人。こんな冷静でたくましいお姫様の話も盛り込んでほしい。

●新選組隊士で、千葉氏の由来の人は、油の小路で、藤堂平助、服部武雄とともに討死した津軽藩脱藩の毛内有之助。先祖は千葉常胤で、千葉氏の直系。毛内の百人芸といわれるほど、何でも人並み以上の才能が会った人らしい。大河ではどの人か分からなかったのが残念だった。


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「千葉氏探訪」の著者と会う

土曜日、日曜日は、ずいぶんと本やメディアに関係する人に出あった。
上京の目的は友人の本の出版パーティだったが、その席で、「レヴィンの系譜」の著者故高木昌宣さんのお母様やこの本の出版を手がけた夢工房の片桐さん、「千葉氏探訪」の著者鈴木佐さん、日本インターネット新聞「JANJAN]の代表で前鎌倉市長の竹内兼さん、そして、パーティの主役・北鎌倉湧水ネットワークの代表で共同通信社の野口稔さんなど。
パーティが行われた場所は、横浜馬車道の「驛(うまや)の食卓」。ここの栗田オーナーと野口さんは、2004年JBGジャパンビアグランプリで銀賞に輝いた地ビール「北鎌倉の恵み」の生みの親。パーティでもコクのある「北鎌倉の恵み」がふんだんに供された。

なかでも「千葉氏探訪ー房総を駆け抜けた武士たち」の著者・鈴木佐さんと会えたのがうれしい。
2年ほど前、野口さんの紹介で、鈴木さんから「千葉氏探訪ー房総を駆け抜けた武士たち」が送られて来た。読ませていただき、運営サイトにその紹介文を書いたことがある。
この本は、源頼朝から「第二の父である」と言われ、鎌倉幕府創設の基盤つくりに貢献した千葉常胤とその一族の盛衰や、末裔たちの足跡を追って日本各地を取材した400ページを越える大作。一族の歴史のみならず、妙見信仰など、生活に根ざした宗教や文化まで研究されている。
北辰一刀流の千葉周作も「武士道」を英文で著した新渡戸稲造も千葉氏一族の末裔であることをこの本で知った。大河ドラマ「新選組!」放送中に、三谷のギャグ!と大騒ぎして恥かいた人も多かった「香取大明神」も千葉氏に由来している。ちなみに日本古武道の源流は香取神道流と馬庭念流で、2つの流派の共通点は「人を生かすための剣」と流派の開祖が千葉氏一族ということらしい。
土方歳三が憧れつづけた関東武士のルーツと全貌がこの1冊に詰まっている。(「千葉氏探訪ー房総を駆け抜けた武士たち」編著・鈴木佐、監修・千葉氏顕彰会 発行・千葉日報社)

この力作の著者・鈴木さんは、人懐っこい笑顔とフットワークのよさが魅力の30歳代のおにいちゃんだった。最近は北鎌倉の建長寺に惹かれているらしく、その日も、「建長寺を案内しますよ!」と言ってくれたが、すでに時間は閉門時間。それでも、数人と北鎌倉に流れて駅前の「詫助」でまたまた乾杯。北鎌倉の夜の風は涼やか。
実は私の先祖はどうも九州千葉氏に滅ぼされた阿蘇菊池氏らしい。千葉氏の鈴木さんとは、相容れない敵同士のようだが、本人たちは意気投合、「あねご」との呼び名まで頂いた。

鈴木さんは千葉の行政マン。郷土を愛していると声高に叫ぶ人は多いが、鈴木さんのように、地道に郷土のルーツを調べ全国にPRできる本当の行動派は多くない。
彼の人当たりの良い笑顔とフットワークのよさは、行政のなかでも、地域の声を吸い上げるのにも、内外とのネットワークづくりにも大いに活かされると思うし、彼の膨大な知識は行政の要である基本計画策定などに活かされるべきだと思う。
なにより、幅広い視点と人的ネットワークをを持った行政マンは、その地方の財産だ。私なぞ、恐れ多くも、鈴木さんの案内で千葉県観光をしたいとの野望を抱いたほどだ。鈴木さん、そのときはよろしくね。

翌日は、日野へ。土方歳三資料館で、「子孫が語る土方歳三」の著者・土方愛さんや資料館長の土方陽子さんにお会いできた。一族、美人ぞろい。

資料館での講演話は後程。


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土方歳三と5月5日

土方歳三は、天保6年5月5日(旧暦)生まれと覚えていた。ずいぶん前に読んだ本の数冊にそのように書かれていたが、最近は、5月の某日とかかれたりしている。5月5日と確定する記述がないからなのか、新暦になおすと5月30日ごろになるからか、よくわからない。
しかし、私の個人的な思いでは5月5日というのは、土方歳三の生い立ちに似つかわしいような気がしている。
人は自分の生まれた日にちに意外とこだわる。特に、特別の日の生まれの人や偉人、有名人と同じ誕生日なら、さらにこだわりが強い。

端午の節句の5月5日は、徳川幕府では、大名や旗本は式服で江戸城に登り、将軍にお祝いをのべる大事な日で、将軍に男の子が生まれると、幟(のぼり)を立てて祝いするしきたりだったとか。このお祝いはその後、町人の間にもひろまっていったという。鯉幟は武家の幟に対抗した町人たちのお祝いの印だったとか。


土方歳三の武士への執着はすごい。子どものころ自宅の庭に矢竹を植えたり、行商に剣道の道具を持って行ったり、子どもっぽいといってもいいほど。

子どものころの彼は、5月5日という武士の特別の日に生まれた自分が武士でないことに、ものすごい理不尽を感じていたんじゃないのかな。といって、「どうして俺は武士でないの?」とたずねて甘えたい両親はすでに他界している。この不条理にだれも答えてくれない。土方歳三の最初の挫折はこのときだったのかもしれない。
なにかを解決するのに自分の力しか頼れないという、子どもにとっては悲しい現実に、「なら、やってやろうじゃないか」とがむしゃらに挑んでいく姿と、志があって武士になりたいのではなく、武士になりたいからなりたいという思い込みで突っ走るピュアな子供心。後の土方歳三の行動原理とぴったり一致するようだ。

土方歳三の生涯を読んでいく時、真っ先にぶつかる疑問が「なぜそれほど武士になりたかったのか?」なのだが、武士にとって特別な日である5月5日生まれだからというのは、意外と納得できる回答ではないだろうか。

そういえば、五稜郭にあった土方が、市村鉄之助に写真や刀を日野に届けるようにと託して脱走させた日も明治2年5月5日だったと記憶している。
5月は土方の生涯にとって特別な月だ。明治2年5月11日土方は戦死した。その5月18日箱舘戦争は終結。、前年の5月30日沖田総司は29歳で病没。、


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土方歳三様、心をこめて あなたになります。

ほぼ日刊イトイ新聞 『新選組!』withほぼ日テレビガイド
番外編 土方歳三、かく語りき。 山本耕史fromチャノミバ

だと!早速飛んでいきました、[ほぼ日]まで。

チャノミバでの対談を、再編集しているとのこと。7回のシリーズとのこと。
さすが、イトイさんとこの編集だけあって、とてもわかりやすい。というか、山本耕史のインタビューは、いつもサービストークがないそっけないものだが、生き方へのこだわりに一貫したものがあるので、わかりやすいけどね。
その1回目が「香取慎吾とぼく」。あら、2回目も「香取慎吾とぼく その2」だよ。
おいおい、このまま、いくなよ。「土方歳三とぼく」でしょう、だいじなところは。
だって、「土方歳三 かく語りき」ですよ、タイトルは。DVD第弐集発売記念企画かもしれませんが、いっそ、続編実現にむけてのアプローチとして、「土方歳三とぼく」を再編集してほしいなあ。なにしろ「心をこめてあなたになります」とさえ言ってくれた人です山本耕史氏は。土方ファンには、涙のでるような言葉ですもの。
糸井さん、まだ編集中なら、この気持ちくんでくださいな。

「心をこめてあなたになります」といえば、あさぽんさんのbrightbluegreen に

萩尾 農さん著作「散華−土方歳三−」改訂版が五稜郭タワーにて販売決定したそうです。(中略)山本さんのコメント帯付ですね。

と、あり、さっそく、五稜郭タワーサイトでチェック!

なんと、帯のキャッチコピーは
「土方歳三様、心をこめて
       あなたになります。」
そのあとに、3行ほどのボディコピーがあり、これも山本耕史氏の言葉になっているようだが、判読不可能。もちろん、写真付きだ。
帯だけで「買い」決定!

じつは、この「散華−土方歳三−」は、1989年の第1刷発行のものを持っている。ちなみに、この本の帯のコピーは「戦いをやめたら、俺は土方歳三では なくなっちまうよー」と、ファンの心を鷲づかみ。


帯買いしたので、印象的だったのは、「土方歳三ー修羅となりて北へ」の帯「負けても、負けても、戦い続けるんだ」。帯を見て、涙でたもの。
「土方歳三様、心をこめてあなたになります。」は、それに匹敵する泣かせのコピー。
山本耕史氏が、五稜郭の土方の碑の前で、この言葉を捧げたというエピソードを聞いたのは、昨年の何時頃だったかなあ。この言葉で、「今回の大河ドラマは間違いなく成功する。少なくとも、土方の配役は間違いなかった」と確信した。

萩尾 農 著「散華−土方歳三−」(発行:五稜郭タワー株式会社)の発売日は、土方が戦死した5月11日とのこと。まちどおしい。

4月20日追記:
brightbluegreenさんが、よせてくれたコメントの中で、写真では判読不能だったコピーを教えてくださいました。もう、朝から感涙にむせぶような(大げさだと、人は言うでしょうが、土方ファンならわかってくれるよね)内容なので、以下に転記しますね。

  土方歳三様 心をこめて、あなたになります。
  墓前に誓って、あなたの人生を生きた一年。
  最後まで戦い続けたあなたのように、
  僕も戦い続けていきたい。(山本耕史)


これで、今年の私選「腰巻大賞」(本の帯の審査です)は、決まり!です。
今後なにがでてきても、今年は、これです。間違いない!

 


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  生き残った剣客たちの明治 「幕末剣客伝」と「明治無頼伝」

「幕末剣客伝」 津本 陽著 講談社文庫
「明治無頼伝」 中村彰彦著 角川文庫

生き残った新選組隊士のその後は、ファンにとって気になるものだ。
彼らは多かれ少なかれ一定の期間縛に着き、赦免されてのちは、決して裕福な生活ではないがそれそれに自分をとおして生涯を終えている。

中でも、後半生を西本願寺の寺男として過ごしながらも土方の戒名を死ぬまで肌身離さず持って「誠」を守り通した島田魁と、会津藩と苦楽をともにしながら剣客としての自分の持ち味を封じることなく飄々と生ききった斉藤一の生涯は興味深いが、もう1人、興味深い生き方をした剣客がいる。

それが、「幕末剣客伝」の主人公 中島登。
大河ドラマ「新選組」では、登場しなかったので、だれ?という人もいるだろうが、八王子出身、天然理心流つながりで、近藤から関東の情報収集の密命を受けて活動していたが、慶応3年から京都で活動、その後土方について箱舘まで行き、土方亡き後、弁天台場で奮戦し降伏しているバリバリの新選組隊士。土方の信頼も厚かったようだ。

彼が残したものに、あの「戦友絵姿」がある。
陣羽織姿の土方の錦絵と「…性質英才にして、あくまで剛直なりしが、年の長ずるに従い温和にして、人の帰すること赤子の母を慕うが如し。(中略=戦死のとき)三軍の衆、痛惜して鼓声没す。当世の豪傑というべし。」という人物評を書いた人でもある。
明治3年、釈放されて帰郷時に土方家で書き写した中島の日記「中島登覚書」も史料として貴重なものとなっている。

その中島登は、新選組隊士の中では、市井にあって成功した人物の一人だろう。
浜松に定住した中島は、趣味の蘭作りで「金玉簾」という人気の蘭を生み出して大金を得、それを元手に銃砲店を営んで成功を収めている。市井に生きて、自分の力と周囲の暖かな友情で幸せな一生を終えた珍しい人だろう。
「幕末無頼伝」は、その中島登がひょんなことから浜松に定住することになるところから話が始まるが、ところどころに、新選組の思い出が織り込まれる。この本では「戦友絵姿」は浜松で書かれることになる。用心棒生活から代書屋の手伝いをしたり、江戸に行って撃剣興行にはいったり、仲間の仇として阿部十郎を追い回したりしながらも、根っこにある義侠心を知っている回りの人々の温かさに支えれれて、過去に決着をつけ、新しい生き方を選んでいく。

「明治無頼伝」は、斉藤一のその後の生き方を追ったもの。
斗南での地を這うような苦しい生活をしていた斉藤一こと一戸伝八こと藤田五郎が、会津藩士高津仲三郎を助けるために、妻時尾をつれて東京に出てきて、さまざまな危機に遭遇しながらパワフルに生き抜く物語。
斗南での会津の人々の苦境は想像を絶するものだ。用心棒や密偵のような仕事で刺客と戦ったり、長州藩くずれの海賊の襲撃にあったり、佐賀城から決死の脱出をしたり、西南戦争を戦ったり、もと剣客の行くところ静かな日々はまったくない。それでも淡々と戦い抜いていく姿はやはり斉藤一。

斉藤一も中島登も幸福だったのは相思相愛の妻がいたことだろう。
彼女たちの愛は控えめのようだが彼らを包んでいるし、生きるよりどころとなっている。
おじいさんになった斉藤一の几帳面な日常がとてもいい。

読み終わって、ちょっとほっとする2冊。
これに、まだ読んでいないが「いつの日か還る―新選組伍長島田魁伝」(文春文庫)を入れて、明治に生きる「誠」の3作として、沖田総司に捧げたい。
近藤にも土方にも、それなりに納得の人生であったと思うが、沖田だけは、どう考えても哀しすぎる。それでも、新しい時代の中で平安な老後をおくる3人を見たら、沖田の心も癒えるのではないかと思えてくる。


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製作・著作:平野惠子
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