歴史コラム・長崎の幕末・明治

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幕末の偉才 赤松小三郎に関する講演会のお知らせ

「朝敵と呼ばれようとも」 にも登場する「幕末の偉才赤松小三郎」に関する講演会が開かれるようです。
この本で赤松のことを書かれた佐藤さんから連絡をいただきました。

(当日は青山教授ご自身所蔵の大変貴重な『英国歩兵練法』をお持ちいただく予定です)

   ※ ※※

暗殺された赤松小三郎……幕末に日本近代化のグランドデザインを描いた男」
講演会「幕末の偉才 赤松小三郎」

幕末、信州上田藩士赤松小三郎は、京都で開いた洋学塾で多くの英才を育てるとともに、わが国の近代化に向けてのグランドデザインを描きその実現に力を尽くしました。
赤松は、1867年(慶応3年)37歳で志半ばにして暗殺されましたが、その先進的な政治思想と優れた洋学の教えは日本の近代化に大きく貢献しました。
 当研究会では、今回、赤松小三郎を史実から精査し、埋もれていた赤松に脚光を当てた青山忠正佛教大学教授をお迎えし、赤松小三郎がわが国の近代化に果たした大きな役割についてお話を伺います。

日時:平成27年8月18日(火)
     受付開始18:10 講演 18:40〜20:40

会場:東京都文京区文京シビックホール 小ホール
    (文京シビックセンター2階) 

参加費:1、000円(当日会場受付にて申し受けます)

対象:幕末の歴史にご興味ある方であればどなたでもご参加いただけます。

定員:300名(先着順 お早めにお申し込みください)

主催:上田高等学校関東同窓会 赤松小三郎研究会

演題:「幕末の偉才 赤松小三郎」                             
  ・赤松小三郎と日本の近代化
  ・「英国歩兵練法」の翻訳について

 

 

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幕末史の新しい視点「幕臣たちと技術立国」

「幕臣たちと技術立国〜江川英龍・中島三郎助・榎本武揚が追った夢」佐々木 譲著 集英社新書

幕末史のなかで、ほとんど取り上げられなかった先進的な技術系幕臣たちの知性と行動から幕末明治の本当の近代化の基礎がどこにあったかがあぶりだされている。
幕末史の新しい視点であり、これまであまりにもおろそかにされていた切り口だと思う。


「明治維新こそが、近代の「夜明け」であるという認識が一般の日本人にとってごくあたりまえの通念である。が、その通念が多くの日本人を大きく誤解させているのではないか。」
「明治維新が“夜明け”だとするなら、それ以前の時代には光はなかったのか」
「明治維新によって突然に、日本はそれまでの前近代から近代へと移行したのか」
「小説やテレビが繰り返し語るように、徳川幕府の体制は硬直化し、学問も技術も遅れ、ペリー来航までは、本当に海外からの情報も技術も開明的な考えも入ってくることはなかったのだろうか。」
このような疑問をずっと抱き続けてきた著者が、幕末期の3人の技術系幕臣を取り上げて、彼らの生涯と働きを検証することから、日本の近代化は幕末期の技術系官僚たちによって準備され、始まっていたことを証明していく、新しい視点の幕末研究本。

取り上げられている3人は、
技術に明るい先進的な行政官だった伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍
浦賀奉行与力でペリー艦隊に最初に接触し、最後までサムライとして箱舘で討ち死にした中島三郎助、
オランダ留学で技術と国際法を学び、蝦夷地に独立共和国樹立を目指し敗れた榎本武揚


江川英龍の先進性は、以前読んだ「未完の多摩共和国」で思い知らされたが、ペリー来航以前から独自の海防論を持って、積極的に西洋式産業技術を導入して洋式銃や大砲を製造したり「反射炉」を築造したりしている。また、新しい知識や人脈のためにオープンな私塾も作っている。あのアームストロング砲を製造した佐賀藩の「反射炉」も江川英龍の図面と手ほどきで築造されたということは初耳だった。

同様に中島三郎助に関してもおどろくような実績が残っている。
浦賀与力時代に日本で最初に西洋式帆船を建造している。吉田松陰や桂小五郎は、そのころ中島三郎助に教えを請うている。桂小五郎などは、40日も三郎助宅に居候して、洋式帆船の建造を見学しているほど。その後、長崎海軍伝習所1期生となり、造船学、蒸気機関学、航海術などを修めている。中島はその優秀さで伝習所にもう1年残ってさらに高度な技術を修めることになり、勝海舟は習熟度が低かったため留年となったとの記録が残っているのだ。

榎本武揚についても彼が若い頃から晩年まで、第一級の技術者であり、明治維新では優秀な外務官僚だったことがわかる。


司馬遼太郎の小説が描く日本の夜明けに活躍する志士たちの話は、たしかに夢とロマンに満ちている。しかし、それだけを歴史だと信じるのはあまりに幼稚過ぎないだろうか。
たしかに、それが小説であることを認識して読んでいる人もいるだろうが、多くの一般人は司馬遼太郎の歴史小説を史実と取っているというのが現状。
そろそろ、司馬マジックから解き放たれ、ニュートラルな視点で幕末維新を見直してもいい時期なのだと思う。そのときの視点に、思想的な近代化ではなく、実質の近代化はどのようにして進められてきたかを置くのは興味深いやり方だと思う。

たしかに、薩長土肥が強引に夜明けの扉をこじ開けたが、その後の近代化の方法や技術、それに従事する人材をもたなかった。その基礎となるものは、幕末期に幕府によって育成された幕臣たちによって受け継がれ伝えられてきていたのだということが、具体的にわかる。
日本の近代化が速やかに進んだのは「江戸時代の蓄積」があったからで、新政府に近代性の蓄積があったわけではないのだ。
明治維新の建国の最中に倒幕の中心人物たちが2年近くも日本を離れてしまうという摩訶不思議な「岩倉使節団」というものがなぜ行われたのかということも、なんとなく見えてくるからおもしろい。

歴史は過去のものだが、普遍のものではない。その時代時代で、新しい見方や人物が掘り起こされるべきものだと思う。

小説家だが、最近の佐々木譲氏や中村彰彦氏の仕事は目が離せない。

 


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「くろふね」の江川太郎左衛門英龍と中島三郎助

『くろふね』 佐々木譲著 角川書店

著者・佐々木譲をして、「激動の時代の幕開けのまさにその瞬間に立会い、その後に続く動乱の時代を、有能な官僚として、すぐれた技術者として、才ある文人として、それになにより、見事なまでに武士らしい武士として生きた男」と言わしめた中島三郎助の半生をていねいに描いた一冊。

実はまだ途中までしか読んでいない。ページ数でいえば約半分を越える位。で、物語はまさにペリーの浦賀来航。
これまでの幕末小説なら、ここで初めて中島三郎助の名前がでてくるところだろう。その多くには、黒船を見てあたふたする浦賀奉行たちの一人として、及び腰の幕府の一員としてほんの添え物のようにでてくるにすぎなかった。

あえて、読書の途中でこの「くろふね」のことを書いたのは、じつは「白牡丹のつぶやき」さんのサイトで「旧暦ですが、享和元年(1801年)5月13日は江川太郎左右衛門英龍様の誕生日です。」という一文を見たからだ。

白牡丹さんは、江川太郎左右衛門英龍のことをときどき取り上げてくれる数少ない人。
私も江川太郎左右衛門英龍については「未完の多摩共和国」を読んで以来、たいへん興味をもち、その生涯をもっと知りたいと思っている一人であるので、その名前が出てくるとつい、反応してしまう。

「くろふね」の中にも江川太郎左右衛門英龍は登場する。
中島三郎助に、彼が興味をもっている測量や砲術、海防などについて、新しい風を送り込んでくれる重要な人物だったのだ。
江川太郎左衛門による海岸防備の目的の江戸湾の測量のシーンや、高島秋帆による徳丸ヶ原での演習シーンなどは、具体的でとても興味深いシーンとなっている。
江川太郎左右衛門英龍と言う人は、中島三郎助に最初に影響をあたえた人物だったのだ。
本を読むごとに、韮山の世襲の代官にこんなに優れた人がいたということを、改めて知らされることになる。すでに彼の功績を知っていても、新しい情報は、それを上回る興味深い業績がでてくるのだ。こうなると、幕末のわが国の海防論のようなものを通して読みたくなってしまう。

その人物に影響され、さらに独自の興味である大型艦船の建造について学び、日本で最初の西洋式軍艦を建造してしまう中島三郎助。彼のすばらしさは、座学や知識では満足しないところにある。あくまでも実践の人である。そのような意味では、幕府側でも最優秀なテクノクラートの一人であったわけだ。その証拠に、吉田松陰も桂小五郎も中島三郎助に造船術の教えを請う手いる。桂などは、中島家に長逗留して学んでいる。

私が読んでいる部分はそこらまでだが、中島三郎助は、その後、長崎海軍伝習所伝習生となって長崎へ。言葉巧みで目先の効いた勝海舟とはそりが合わなかったため咸臨丸のアメリカ渡航メンバーからは外れてしまうが、機関士としても航海士としても中島三郎助は勝海舟などよりはるかに優れた人物だったと分かる。

途中までだが、江川太郎左右衛門英龍と中島三郎助は幕末の物語にもっと登場してもいい魅力的な人物だ。

最後まで読んだらきっと「くろふね」を書いてくれた佐々木譲に感謝の辞を送りたくなるはずだ。

ただ、土方ファンや新選組ファンにひとこと伝えておこう。
ヒロイックな土方ファンのお嬢さん方が、土方と中島三郎助の箱舘での関係などを期待してこの本を買われると困る。はっきり言っておく、土方は出てこない。いや、たった1行土方歳三が戦死したというフレーズがあるくらいだ。それでも満足できるくらい中島三郎助という男は地道にすばらしいのだ。

プロローグ「箱舘に死す」の最後のフレーズ
「日本の近代は、この男、中島三郎助の屍をこえるところから始まったのである」

半分までしか読んでなくても、この言葉が言わんとすることが分かる。中島三郎助とはそのような男だったのだ。 


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長崎微熱  http://50s.upper.jp

 

 

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