西坂刑場の本当の場所

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西坂刑場はもっと北よりの場所だった

3月8日、長崎史談会の長老たちの先導で、松本良順関連の場所を訪れたが、その中の1箇所に西坂の刑場跡があった。
ポンペから西洋医学を学ぶ「長崎医学伝習所」の設立と運営に奔走し、ポンペの一番弟子である良順。
西洋医学を習得するには人体の仕組みをしるためにも解剖は不可欠。
解剖のための献体を、囚人たちにお願いしたのも良順だった。
ポンペと伝習所生 たちによる解剖は、西坂の刑場でおこなわれたようだ。
西坂の刑場といえば、今の二十六聖人の碑がある場所だというのが通説だが、じつは、もう少し北のほうに行った場所だったらしい。
その場所に案内してもらった。今は、私有地らしく、勝手に入ってはいけないのだろうが、そこは、史談会のお歴々、ちゃんと入り口をご存知だった。
その場所に残るちいさな石柱の前には水が手向けられていた。
いまでも碑を守り、供養をしてくれている人がいるということか。



近づくと下のような石碑があった

石碑に刻まれている文字は、読める範囲では以下のとおり。

死刑場ノ馬込

辻(?)タル法塔様

参リ被下度







 


 

 

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