「台湾出兵」「西南戦争」戦病死者墓碑名データベース

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・佐古・梅ケ崎招魂社とは
 (梅ケ崎墳墓、梅ケ崎招魂社、佐古墳墓、佐古招魂社、佐古・梅ケ崎招魂社の来歴)
佐古・梅ケ崎招魂社、佐古・梅ケ崎墳墓祭祀者県別調査表

佐古・梅ケ崎招魂社とは(佐古・梅ケ崎、坂本墳墓保存会による案内に書かれた文章より)

ここに祭祀されている諸霊は明治元年戊辰の役に当たり奥羽鎮圧に参加した振遠隊に参加した振遠隊士43柱、明治7年台湾の役に参加した将兵381柱、 明治十年西南の役に参加した将兵および警察隊士671柱の方々で、その出身地も広く全国に及んでおります。
明治初期における交通事情は今日とは格段に違い、陸上交通は未発達で、おもに海運に頼っていました。
そこで、当時国内有数の貿易港であり、また西欧医学も進歩していたこの長崎を基地として作戦が行われました。
そのために、幾多の傷病者がこの地に運ばれ、望郷の想いもはかなく不幸にして戦病死されたものであります。
昭和37年梅ケ崎墳墓(※)も将来の保存を考えて西小島町大徳園よりここに合祀しました。
いまや招魂社は風雪に絶えかね昔日の面影もありませんが、明治初期における幾多の戦役に斃れた将兵のご遺体、ご遺髪の墳墓地として春分の日には地元有志による例祭が盛大に行われています。
     佐古・梅ケ崎、坂本墳墓保存会   (場所:西小島 仁田小学校横)


佐古招魂社、佐古墳墓
明治7年の「台湾出兵」では、長崎税関内に蕃地事務局が新設され、事務総督大隈重信以下官員、台湾征伐総督西郷従道、参議陸軍少将谷千城、海軍少将赤松則良以下将兵4500余人は、「日進艦」ほか三艦に分乗して長崎から台湾に向かった。
征討軍は暑熱や湿気のため病魔に襲われ300余人が死亡した。罹病者は続々と内地に送り返され長崎の西洋医学校(現在の大徳寺境内)に収容し、翌8年4月罹病者が全員退院するまで
を治療を続けた。
毎月100名以上の傷病者が運び込まれたが170名あまりが相次いで亡くなり、病院のそばの大徳園に招魂場を設けた。招魂社には戦死者9名、病死者317名、送還航行中の病死者55名も同場所に葬むった。
明治10年2月西南の役が勃発し、拡大するに伴い傷病者が続出し、長崎市内の寺院を臨時病院にあて、死亡者は梅ケ崎招魂場に葬ったが、場所が足りなくなり現在の
佐古・梅ケ崎招魂社
の地に移転し佐古招魂社とした。
明治14年5月大政官達を以って合葬墓碑を建て、翌年10月勅使の来崎により勅祭が施行されている。(勅使北条侍従、祭主谷千城将軍)その後、毎年3月22日に例祭がおこなわれている。
佐古墳墓は、西南戦争で戦死または傷病死した軍人軍属671名を埋葬した官費支給の墳墓。

梅ケ崎招魂社・梅ケ崎墳墓(※)
戊辰戦争時の明治元年7月、奥羽鎮撫総督九条道孝軍の秋田城攻めの援軍として長崎で組織された振遠隊の戦死者病死者17名を祀った招魂場。同年12月、知事沢宣嘉、判事井上聞多以下の参列で祭儀が施行された。翌2年函館戦争に借り出され戦死した「朝陽」の乗組員のうち長崎出身の26名も合祀した。戊辰戦争時の戦死者の遺骸は秋田や函館で埋葬され現地に墓碑も建てられている。梅ケ崎墳墓には遺髪遺物が埋葬され祭られた。
のち、台湾出兵時の戦病死者も埋葬したが、埋葬場所がたりなくなり、西南戦争時に、近所の稲荷山に新たに墳墓と招魂場を作ったのが佐古招魂社、佐古墳墓であり、現在の
佐古・梅ケ崎招魂社となる。



招魂社とは幕末以降、国家のため戦い殉死した人をお祀りした神社のことで、この梅香崎招魂社は戊辰戦争(奥羽征伐・函館戦役)などで殉職した43名をお祀りした神社でした。正面に霊位を祀った招魂社で、そのそばに遺体や遺髪などを葬る墳墓地がありました。
江戸時代末期、長崎市内の地役人のほか浪士などを集め、長崎を警護する目的で遊撃隊が長崎奉行所の下、組織され、すぐに明治維新を受け、遊撃隊は新政府に仕えることになります。明治元年(1868)2月長崎裁判所総督:澤宣嘉によって振遠隊と改称。振遠隊は6月24日、旧幕府軍との戦いで戦火の治まらない東北地方に派遣されることになり、海路秋田に向かい旧幕府軍の庄内軍と一戦を交えます。しかし庄内軍の圧倒的な強さで振遠隊は7名の犠牲者を出すも、東北諸藩の降伏が始まったため振遠隊は盛岡城を受取り、10月19日凱旋となり12月20日に帰崎します。振遠隊の生存者に褒賞を与え、戦病死者17名は各藩の協議の結果、大楠神社の脇に招魂場(墳墓地)を設け埋葬することになり、後に霊位を大楠神社に合祀。葬儀を明治元年(1868)12月26日に行います。【17名合祀】
また、戊辰戦争時、函館港外での海戦で殉死した長崎出身者26名の遺髪を招魂場に埋葬。【26名合祀】これら殉死者の霊位を大楠神社にお祀りした際、梅香崎招魂社と改称し、墓所を梅香崎墳墓地と称することとなります。さらに梅香崎墳墓地には、明治元年1月14日の長崎奉行所引渡しの際、横死した者1名、祝砲暴発で死亡した者1名も埋葬しています。


佐古・梅ケ崎招魂社、佐古・梅ケ崎墳墓祭祀者県別調査表
(社団法人日本郷友連盟長崎県郷友会発行「官祭佐古梅ケ崎招魂社官修佐古梅ケ崎墳墓沿革概要」より抜粋)

県名 人数 県名 人数 県名 人数 県名 人数
北海道 2 青森 10 岩手 宮城 11
秋田 山形 10 福島 51 茨城 21
栃木 10 群馬 埼玉 24 千葉 29
東京 117 神奈川 20 静岡 18 山梨
長野 新潟 15 愛知 22 三重 44
岐阜 11 石川 54 福井 滋賀 14
京都 和歌山 61 大阪 23 兵庫 40
岡山 29 広島 28 山口 74 島根 24
高知 15 愛媛 24 徳島 22 福岡 65
佐賀 長崎 68 熊本 15 宮崎
大分 10 鹿児島 128     県別不明 29
富山、奈良、鳥取、香川、沖縄は該当者なし 1191 長崎重砲大隊墓地(※) 11

※坂本陸軍墓地

佐古招魂社祭祀者データベースが別ページにあります。ここをクリックしてください。
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