佐古、梅ケ崎招魂社の歌

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長崎微熱人から

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・梅ケ崎佐古招魂場では、毎年春分の日に、護国神社神主さんに来ていただき慰霊祭が行われる。

ことしも、梅ケ崎・佐古招魂社で行われた慰霊祭に出席した。
毎年ここを訪れるようになって何年になるだろう。
ここに祀られている人の名簿をつくったり、それをデータベース化したりして、いつのまにか、ちょっとしたライフワークっぽくなっているが、ここに至る最初のきっかけはなんと新選組だった。

新選組を知っていく中で戊辰戦争と会津藩に興味を持ち、戊辰戦争を調べる中で長崎からもこの戦に参戦している人々がいたのを知った。それが振遠隊であり、 箱館戦争で爆沈した朝陽艦の乗組員たちだった。朝陽艦の戦没者慰霊碑が函館にあるのに、長崎にはないのかと調べていくうちに、梅ケ崎・佐古招魂社のことを 知った。
ここには、戊辰戦争だけでなく、台湾出兵や西南戦争で負傷し長崎の病院に運ばれて戦病死した政府軍兵士の墓標や慰霊碑もある。
当然のように西南戦争にも興味をもつようになる。これまで西南戦争といえば西郷軍の側をあつかったものが多い。ともすれば悪役であった政府軍の側の資料から西南戦争をみるとまた違ったものが見えてきた。
おもしろいことに、政府軍側から西南戦争をみていくと、戊辰戦争で生き残った会津の武士たちと再会する。さらに、川路大警視が指揮した警視庁の警察官によ る別働第3旅団は長崎を拠点にして船で海路、熊本をめざしていた。そして警視庁の兵士といえば、会津の佐川官兵衛や新選組の斉藤一がいる。(二人とも別働 第三旅団ではなかったが)
ぐるりと回ってまた新選組に戻ってくる。

長崎と新選組なんて、何の接点もないと思っていたが、多くの接点も見つけてしまった。
「長崎微熱」という郷土史ホームページを立てて「梅ケ崎、佐古招魂社祭礼者リストデータベース」をアップしているが、それを見て、知り合いが子孫にあたるとメールを下さった方もいる。今回の慰霊祭では、ひいおじいさんが振遠隊隊士だったという方と知り合った。
なにかにこだわっていると、必ず貴重な出会いというものがあるのだ。

佐古招魂社祭祀者データベースが別ページにあります。ここをクリックしてください。
(祭られている人々の名前や出身地などをデーター化)







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